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Tyees_Cafe

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Tyees HiStory番外編

--Tyees HiStory番外編--

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僕が小山実稚恵さんのファンになったきっかけ
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小山実稚恵さんのお名前は、チャイコとかショパンコンクールで入賞とかの記事で、当然知ってはいたのですが、結局本当にファン(といってもCD聴きとしてのファンですが)になったのには、ある小さなきっかけがありました。
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何年も前のこと、そう、1985-1986年の頃、丁度小山さんがショパンコンクール4位となられた時ですか、私は仙台住まいをしておりました。
まだ若かった私は、ある仙台市内の飲み屋さんで、私の以前の会社関係の年配の素敵な「おじさま」(管理職の方でした)と飲んでおりました。
エレクトーンのある飲み屋さんで、歌を歌う場合は、カラオケの代わりにエレクトーンで伴奏をしてくれるというなかなか素敵でモダンなお店でした。

そこで、趣味の話になり、私がピアノが趣味ですと話をすると、そのおじさまがいうわけです。
「そうそう、この間、小山実稚恵さん、コンクールに入賞してすごかったよね。」
そのおじさまは、クラシックが趣味とは思えなかったので、
「エー、何で、小山さんを知っているんですか」と聞くと、
実稚恵ちゃんがまだ赤ちゃんの時に抱っこしたことがあるというのです。
「嘘ー、本当ですか?」。しかも「みちえちゃん」ですよ!!
なんでも、そのおじさまは、なんでも小山さんのお父様の知り合いだとか?
仙台なり、盛岡でご一緒に仕事をしたことがあるとのお話でした。
確かめようがなかったので真偽の程はいまだにわかりませんが、・・・恐らく本当のお話かと思います。
「小さい時からピアノすごかったのですか?」「ピアノも聞いたことあるけれど、かわいい子だったよ・・・」・・・

私は、その方とその話で大変盛り上がりまして互いに両手で何回も握手をし、その日一晩手を洗わなかったと記憶しております。(小山実稚恵さんにあやかりたかったのですネ)
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それ以来、小山さんの大のCDファンになりました。
さて、殆ど発売される度に彼女のCDを買い揃えてきていますが、その演奏は、何故か私の感性にぴったりあうんですよね。
ということで、ますますのファンになりつつある状況です。ファリャ組曲「恋は魔術師」のCDなんかも違う小山さんが聞けていいですよ。

勿論、練習中のオンディーヌを含む、ラヴェルの「夜のガスパール」のリファレンス盤としても、小山さんの「ラヴェル・ピアノ作品集」を、アルゲリッチ、ポゴレリチ、フランソワ等の盤と並べて愛聴しています。

小山さんには、さらにぜひぜひ幅広い録音をされることを期待しています。
もう一度、各CDを聴き比べて、そのうち、彼女のCD推薦版のページをつくりたいと思います。

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私がバッハを弾けない理由(その3/最終章)
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一昨日に続いて、自分がバッハを弾けない理由を探る。
 (昨日は、バッハさらに猛練習しましたよ!!   両手とも重いですけれど、充実感!!)

ひとつめの理由(以前の日記より抜粋・・・)
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幼少よりピアノを練習しはじめて暫く時がたった頃、私は、ピアノから逃避するようになっていった。
それには、母の「竹の物差」の、スパルタレッスン??がいやだったから。
そして、小学校も高学年になる頃、習っていた先生のお引っ越しと同時に、ピアノの習い事はやめてしまった。
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ということで、私のピアノ練習、しかも先生についての練習というのは、ここで途切れているのだ。
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以上が、私がバッハ(それどころか、モーツァルトからベートーベン等の古典ものすべて)を弾けない理由のひとつに違いない。
それ以来、私はピアノの先生についたことがないのだから・・・・・

しかし、
大学時代なり会社勤めとなっても、他の曲と同じように練習していれば、バッハも多少は今弾けるようになっていたはず???
でも、私は、バッハを練習してこなかった???
このことについての理由については、さらに、よくよく考えてみる余地が必要がありそうだ・・・
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さて、ここからが、本来の今回の日記です。・・・

--学生時代から会社勤めへ--でもバッハは練習しませんでした。苦手だったんですね。

さて、ピアノをやめて、しばらくたち、学生となった私は大学のピアノサークルに入部したのだった。
ピアノサークルの面々は、皆、好きな曲を練習・発表という雰囲気であり、あまり仲間とバッハの話をしなかった。勿論、バッハとか、もっと昔の人の作品を専門に弾く人もいたのではあるが・・・。
私は、近代物(ドビュッシー、ラヴェル)やロシアもの(特にラフマニノフ)にあこがれた。
少々はショパンやリストも練習したが、他はさっばり。

ということで、バッハより、好きな曲が沢山あったので、バッハを練習したり、弾くことはなかったというのが正しいところだろう。
ただ、何となくバッハは、ピアノ演奏にとってバイブル的な存在らしいということはわかってはいたように思う。

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さらに時間がたち、大学は無事卒業。
しかし、会社勤め以後は、仕事も忙しく、あまり練習もできず、若干の伴奏(フルート等の)なり、仲間うちのポピュラーバンドとか、ジャズにならないジャズのバッキング等をすることが多かった。
ということで、ピアノは退化の一路。
バッハどころか、生ピアノ自体に触れることも少なくなっていった。

時に、身内や仲間内の会等で、バッハを弾いてよという話もでたこともあった。
が、自分としては、何か苦手意識があって、いつも「バッハとかモーツァルトは難しいから」といって避けて通ってきた。
勿論ベートーベンもだめなのだが、音が多い曲の場合はどうにかなると思っていた。(大きな勘違い!!)
弾く対象曲としないから弾かない。避けるので、対象としない。
バッハは話題にしないようにしていたくらいだ。

そうこうしながらも、ピアノはなんとか続けたいなあと、細々とは練習もしたのだが、退化・退化といった具合で、自分としても、これでは聴くだけになってしまう、どうにかせねばと考えはじめるようになっていた。

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ある時のことだった。
海外にいる友人がチャレンジするというので、日本のアマチュアピアノのコンクールを何人かの仲間で聴きにいくことになった。要は応援である。

アマコンは素晴らしかった。友人は勿論のこと、参画者は皆、一生懸命好きな曲を演奏していた。皆チャレンジしているのだ。輝いている感じだった。
私も頑張らねば。感動をもらい、やる気をいただいたアマコンであった。

私は、アマコンに刺激を受けて翌年度には自らも無謀ながらチャレンジすることに。
一次は、得意な曲5分以内、自由選択だったが、ラフマやドビュッシーの小曲で挑戦したが、見事一次で落選。私は、でも、チャレンジすることの楽しみ、喜びを再度見いだした。
そして、5分ではあるが、舞台でフルコンのスタインウェイで弾けるのであるからこれは経験上も大変良い。
以後3回ほど、参画・落選を繰り返した。
そのうち、予選の演奏結果のポイント数がわかるようになってきた。A部門100人強の参画者の中で、
私は、おおむね半分より少々下くらいの位置のようだ。
びりではないとわかると、多少まだ頑張る気持ちもでてきた。

なお、毎年開催されるアマコンには、各部門毎に百名を超えるアマチュアピアニスト達?が全国よりチャレンジ。ここ、十年間においては、私の属していたピアノサークルのメンバーやOB/OG友人達も次々チャレンジし、最終選考まで残る人も少なからず出始め、さらに入選に輝くメンバー、そして、近年では、金賞とか三位入賞などの快挙もでてきていることを付記しておく。

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さて、
しかし、近年、アマチュアピアノコンクールの課題曲にバッハが加わった。(昔はバッハははいっていなかった)
C部門がインヴェンションから、B部門がシンフォニアから、A部門は以外からなどとなった。毎年、選曲にかんする条件は多少変更となるみたいだが。
もちろん、BとA部門は古典物のソナタ(ハイドン・モーツァルト、ベートーベン等)一曲はいれねばならない。

かくして、とうとう、私は、仕方なく平均律の一曲を勉強し出した。(ベートーベンとモーツァルトも。)
が、どうも、うまくいかない。
何か頭の中のバッハと違う、基本的に欠けている部分があると直感的に感じとっていたのだ。
・・・
そして、また時間は過ぎていく。そして、アマコン参画からも遠ざかってしまった。

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ある、ピアノサークルOBOG会の何気ない会話で、ほぼ自分のみが、バッハをやっていないことに気付く。
皆、ほとんど、インヴェンションとシンフォニアをやっているということがわかった。
友人は言った。
僕も一応は、両方全曲やったよ。
厳しい先生だと、インヴェンションとシンフォニアは勿論、平均律とショパンのエチュードが終わらないと
他の有名難曲へのチャレンジはだめという話もあるみたいだけれど。。。。

大ショックだった。
「なんだあ、インヴェンションとかやっていないのは俺だけだったんダア?」 落ち込んだ。
やはり、自分には、大きく、基本の部分が欠けている。ポッカリ穴が空いている。
今からどうしたらいいんだろう。
やはり、やらないと、この空白は、埋まりそうも無い。
結果、やはり、インヴェンションとシンフォニアからきちんとやらねばとだんだん思うようになってきた。

また、またこれ一方で好きなジャズの勉強上も、バッハは役に立つとの話を書物で読んだり、話に聞いたりしていて、「バッハを勉強せねばならぬ」という想いはさらに強固なものになりだしたのだった。

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ここから、私のバッハチャレンジは始まった。
聞き流すだけで、傾聴していなかったバッハ。片っ端から、CDを聴きこんでいく。
同じ曲を、何回も、聴いていると、少しずつ好きな曲ができてくる。

グールドのゴールドベルクや
少々古いがレコードでもっていたリヒテルの平均律全集、
フーガはよくわからないものの、プレリュード部分には、美しく素晴らしい曲が珠玉のようにつまっている
ことに今さらながら気付いたわけである。
アルゲリッチのパルティータ二番もお気に入りとなった。
イギリス組曲も後にポゴレリチの演奏で好きになってきた。

ただし、私にとっては、それでも、いまだにわからない、どうも、ピンとこない曲も沢山あることは間違いない。
やはり、バッハは巨大で深淵なのだろう。わからないとその奥深さを味わうことができないような・・・。
しかし、少々昔は苦手だったグールドの独特の味も好きになれたし、シフも発見でき好きになれた点で、非常に自分としては、良かったと思う。

そして、今現在、インヴェンションを時間をかけて練習し出してみると、やはり、弾いてみてわかる好きな部分もでてきた。
弾き歌いという練習法もなんとなく、わかってきた。

やはり、対位法的な演奏というものに自分は慣れていない。
また、左手は伴奏という想いが、こびり付いている。
左手は、右手と違う役割でしかなかった。これからは、同等になるのだ・・・。
ついでに自分は弾き語りもできないということを発見してしまった。
脳の中の歌と、手と声、それぞれを使って歌うことは、なかなか、チャレンジャブルだった。
私の脳は、かくして、いつも破裂しそうだが、並列的に旋律を追うということに目覚めつつある。
そして、ようやく、今、フーガについてもようやく興味がでてきたところ。

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今の私の正直な気持ちはこうである。
インヴェンションをどうにか、我がものにし、そして、シンフォニアもやっていきたい。
そして、その他の曲も。
小学校高学年から大学に入るまでのピアノの10年間をとりもどしたい。

かくして、いまだに、私はピアノの先生にはついてはいないが、自己流のバッハの開拓に乗り出したわけである。
気持ちは膨らむばかり。足りぬは時間と実力ばかりである。

--end--
以上、「私がバッハを弾けない理由」はおしまいです。
結局、苦手で避けていたということですかね。好きになれば、自然に解決に向かうものですね。

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さて、先日、我が家同居人(ワイフです)が、インヴェンションを全曲やったことがあるとの話には、ショックをうけたが、彼女は、シンフォニアはほとんどやっていないようです。
ヨーシ、私は、シンフォニアをやって、まず、彼女を追い越したい考える次第。
こらこら、競争じゃないぞ!!  いや、でも追い越したい!!
さて、成就はいつのことやら・・・・
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